物語消費しすぎ地獄へようこそ

何かしら作られたもの、作られてしまうもの=物語を消費せずに一日を終われない。

誓願


侍女の物語』の刊行から35年後、2020年に日本語版が発行された本書はその続編。

世界に起きている保守的な動きは、人種や性別、性的志向などの差別を問題視してそれらをなくしていこうという声が高まる中、いまだにニュースのヘッドラインから消えることはない。
そういった気運や2017年から配信を開始したMGMとHuluによるオリジナルドラマ「ハンドメイズ・テイル-侍女の物語-」の成功も著者の著作活動に刺激を与えていたことは想像に難くない。

本書はカナダで育ったギレアデ生まれの10代女性のデイジーと、ギレアデで育ったアメリカ生まれの10代女性のアグネス、ギレアデ建国から侍女を教育する機関のリーダー的伝説的存在の一人であるリディア小母の3人の証言を録取した文書と手記が交互に出てくる形で紡がれ、『侍女の物語』と同様最後はギレアデ研究の学会での発表で終わる。

侍女の物語』では超保守的キリスト教国家ギレアデは崩壊したものと最終章で明らかになるが、その経緯は明かされないままだった。それが本書では明らかになる。

まさかまさかのリディア小母、である。

リディア小母が小母となった経緯と酷い「儀式」はたしかにひどいしクソ of クソだけれど、もしギレアデの建国精神通りに国家運営が続いていたらリディア小母はああいうことをしただろうか。
建国当初からごく一部の男性の司令官たち以外誰も幸せになれない国だとわかっていたのに、それに加担したことは忘れていないはずで、もし腐敗がすすんでいなかったら小母のままでいたのではないか。
しかしギレアデは早晩崩壊する国家だっただろうとは思う。リディア小母が小母として信念を曲げずにいたとしても。

本書はSFでありフィクションなのだが、アトウッドが謝辞で「人類史上前例のないできごとは作中に登場させない」と述べているように、本書に書かれたことは世界のどこかでは現実となっていて、それを思いやるにとても悲しく傷ましくまた怒りを感じさえもする。それと同じぐらい本書の登場人物たちにも感情移入してしまった。現実と非現実の境界をあいまいにすることはあまりよくない傾向だ。

ただ、翻訳がすばらしくてエンターテインメントとしてもぐいぐい読める小説にはなっている。しかし描かれる出来事には精神的にやられるような部分もあって、読了までにずいぶん時間をかけてしまった。

物語の役割とは、物語に書かれたようなことが現実に起きたときの行動のシミュレーションになるというのを誰かが言っていた。

さて、いきなり明日自分のお金が夫のものとなり、また人事部から女性は全員解雇することになりました、と宣告されたら自分はどうするだろうか。