物語消費しすぎ地獄へようこそ

何かしら作られたもの、作られてしまうもの=物語を消費せずに一日を終われない。

奔馬

勲とその仲間「昭和神風連」の裁判の場面がちょっと愉快。なぜか愉快。

裁判長:井筒。その売りに行った時の状況を述べてみよ。
井筒: はい。麹町三丁目の村越刀剣店へ行きまして、なるたけ何気ない顔で、刀を売りたいのだ、と申しました。小さなおばあさんが猫を抱いて店番をしていましたが、三味線屋じゃ猫も居辛いだろうが、刀屋ならそんなこともあるまいとふと考えました。
裁判長:そんなことはどうでもよろしい。

たしかにどうでもいい。三味線屋のくだりはさすが明るい井筒くんである。裁判においても変な明るさを発揮している。

また久松裁判長のしゃべりに対する筆者の表現もふるっている。

言葉遣いが明晰なわりに、言葉のはしばしに象牙の駒を打ち合わせるような閑雅で無機質の響きがあるのは、たしかに言われている内容に、裁判所の菊の御紋章のかがやく玄関にも似た、冷たい威容を加えはしたが、理由は単なる総入歯のためだと思われた。

非常に滑舌はいいけどたまに象牙の駒が鳴るような音が聞こえる。その響きがなんとも優美な気がするんだな~
ていうか、それって総入れ歯のせいじゃね?

ということを表現するのにこの文章。

マジ天才ですね。

奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)

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